音場のひとりごと

  

  

<講座の効用>



人というのは自分のやっている行動を何かと肯定するものである。音場も周囲の冷ややかな視線を感じつつも元気よくマニアを続けている。

講座の効用といえば、誰もが勉強するのだから…といまさらと思われるだろう。しかし、思ったほど効用は期待できないのが現状である。
それは、「忘却」がせっかく勉強したことをきれいに清掃してしまうからだ。
普通に一週間は持たない。ちなみに講座に出席してから一週間たって、ノートやプリントを見ずに何を習ったか思い出してみるとよくわかる。講座のタイトルと講師の顔は覚えていても、レジ目の項目すら出てこない。

実はこの現象、講座終了直後でも実感できる。資料を見ないと“え〜と、ん〜”という始末である。そのため、資格講座は「復習」が大切であることがよくわかる。一般講座でも「受講生の問題意識」が明確でないと受講したという「満足感」しか残らない。講座はあくまで「手段」であるから「目的」が肝心というのもうなずける。

しかし、これでは「音場の講座のすすめ」にはならない。「場(BA)」の勉強家である私はこのように考えている。

人は変化を嫌う(自己保存)。それは恒常性を保たなくてはならない生理的なものからきているものかもしれない。
当然仕事も生活も日常というパターンで構成され、そのパターンがその人にとっての行動効率となっている。人は変化を嫌いつつも、「日常の問題や苦痛、不安から脱却したい」であるとか「つまらない!何か刺激がほしい」であるとか、「出会い」や「自立」にひかれるなど「非日常」を切望していることも確かである。
「非日常」は人に高揚感を与え、さまざまな感覚を研ぎ澄ます機会となる。環境の変化は、それに適応すべく体に活性化を促す。

そこで講座という「プチ非日常」が「活性化」と、人が「場」の影響を受けるという「新適応」をもたらすという効用が生まれるのである。つまり「気づかぬ内面的成長」を与えてくれるのである。

特に講座では、昔クラス替えのとき味わったワクワクドキドキ感や期待はずれの失望感、講師や他の受講生に対する親近感や嫌悪感など何気ない自分の感情を体感することこそ「内面的成長」が期待されるのである。

また、講座で得た知恵を日常で「実践」することで自分の「もの」として役立てることができれば、自分自身に「効力感」を得ることができる。社会や他者に貢献すれば「ポジティブなリアクション」が実感でき、さらなる「効力感」につながるのである。

現代人にとって、この「内面的成長」や「効力感」こそ求められている重要な要素と考える。

残念なことに、マニアの私にとってはもはや講座が「日常」となり「マンネリ化」しつつあるものの、講座のテーマと場所、講師と受講生が変わるということが「音場の成長」を促しているのかもしれない。 

  


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